最近、祖母が介護付き老人ホームへ入所しました。
数年前に祖父が亡くなってから認知症になったのですが、年々重度化し、家族から「危ないので自宅にいるよう」に伝えても、最近では一人で歩いてスーパーに行ったりして、倒れて緊急搬送されるといったことがありました。祖母の身の安全を考えると、介護施設に入った方が良いだろうという判断の元、入所するという結果に至りました。
祖母本人は自宅にいることを強く望み、娘である私の母親にも猛烈に反発したそうですが、今の状態で自宅に一人いることが危険であり、また、介護する側の疲労度も相当のものであったため、母も苦渋の末に決断したことでしょう。
ここ数年、祖母に会いに行った際、5分おきに同じ話をしたり、自身が前にしたことを忘れている様子を間近で見ていましたが、母親は献身的に接し、食事や買い物を含めた様々なサポートをしていました。認知症になる前の祖母は、とにかく利他主義の人で、自分自身よりも子どもや孫の幸福を最優先で考える人でした。私が幼少期の頃は、両親が共働き且つサービス業であったため、土日は祖父母の家に預けられることが多く、たくさんかわいがってもらった記憶があります。
祖母は若い頃に、戦後の物が普及していない時代の中で生きていたこともあり、孫である私たちにおいしいものをたくさん食べさせてあげたい、欲しいものは何でも買ってあげたい、それが常にある人で、数えきれないほどの恩があります。そんな祖母が認知症が進行していく中で、いろんなことを忘れていく姿を見ながら、なんともいたたまれない気持ちになります。
本人も好きで認知症になっているわけではないし、介護する側も感情ある人間として、仕方ないとは思いながらも、時には感情的な言葉を祖母に伝えてしまう、誰が悪いわけでもない、そんな状況の中で、ふと祖母の家にある、たくさんの写真を見ながら当時を思い出し、あの頃の幸せを再確認している時があります。
もちろん写真を見ても、祖母の認知症が治るわけではないのですが、ふと想い出を振り返っている時、写真を通じて祖母と話をしている時は、お互いに表情が和らぎ、やさしい気持ちになれている気がします。
過去には戻ることはできないですが、過去を振り返ることはできます。いつかは娘である母や私たち孫の存在を忘れてしまうのだろうか?という懸念はありながらも、自分たちが覚えていれば良いし、いつか自分自身も年老いて同じような境遇になったとしても、写真があればそれを一緒に見返したり、写真を通じて未来へ自身の存在や関係性を紡いでいくことは可能です。
人はPCやロボットではないので、どうしても脳という記憶媒体には限界があります。しかし、年と共に薄らいでいく記憶の中で、大切な想い出と共に、“確かにそこにあった感情や関係性”を時間軸を越えて届ける力が写真にはあると思います。
大切な家族や未来の自分自身のためにも、想い出をつくり、残し、見返すことをこれからも続けていきます。