2026年08月09日
社長コラム
親愛なる祖母の逝去
去る7/18に母方の祖母が89歳で他界しました。
自分は幼少期から毎週末は母方の祖父母宅によく預けられていたので、祖父母との思い出は数えきれないくらいあります。お別れまでの時間をある程度は予測していたとはいえ、いざいなくなるとやはり、もう会えないという寂しさがこみ上げてきます。
3年前に祖父が亡くなってからは、祖母は瀬戸の自宅で一人で過ごしながらも、夫を亡くした喪失感から時折涙する場面がありました。身体は健康だったので、たまに母や妹と共に祖母の家を訪問し、一緒に食事をしたりしていました。祖父が亡くなる前から、祖母は認知症を患っていましたが、一人になったことでより進行度が増したようでした。好きで認知症になったわけではないので、本人としても葛藤があっただろうし、自分の母親(祖母にとって娘)を中心に献身的に支える人たちも、頭では理解しながらもサポートする上で大変なことが多々ありました。
しかしながら、祖母自身も周りの家族も、お互いが感謝をしながら幸せな人生を送っている(送っていた)ことには間違いないと思っています。ここ数年で自分にとって身近で大切な人が亡くなる度に、死生観(「生」と「死」をどのように捉え、そこにどのような意味や価値を見出すかという考え方)について考えます。
自分は今年の8月で44歳を迎えます。
仮に祖母と同じ年齢まで生きると仮定するなら、自分は今、人生の中間地点へ立ち、人生の後半戦に入っていくことになります。“幸せ”という定義は人それぞれだと思いますが、最期を迎える際には「いい人生だった」と思えるように、自分自身が悔いのないように一つでも多く幸せを感じながら生きていこうと決心した次第です。